2006年 01月 17日
Martin Luther King Jr. Day |
今日はアメリカ黒人公民権運動の立役者とも言える、マーティン・ルーサー・キング牧師生誕記念国民の祝日。1986年に国民の祝日に制定されてから、今年が20年目の節目を迎える。1929年にアトランタに産まれた”マイケル・ルーサー・キング”は彼が6歳のあたりに“マーティン“と改名されたのだそうだ。幼少のころから彼の利発さは目立っていた。アトランタの歴史的黒人大学の1つ、モアハウス大学に入学したのは彼が15歳の時。その後最終的にボストン大学で博士号を取得する。1964年には公民権運動に非暴力で立ち向かった軌跡が認められ、35歳という若さでノーベル平和賞を授与される。
1963年の「私には夢がある」演説はキング牧師の最も有名な演説と言える。「将来私の子供達が肌の色ではなくそれぞれの人格によって評価される時代が来る事を願う」というスピーチは現在でも様々な場面で引用されている。キング牧師がブラックカレッジの卒業生であるという事実から、このマーティン・ルーサー・キングデーは全米ブラックカレッジにとっても重要な記念日である。この日には大学職員、学生達が改めて教育の大切さ、若きマイノリテイー達を成功に導くブラックカレッジの役割を再確認するのだ。
キング牧師が訴えた「私には夢がある」演説の内容は2006年を迎えた今、どこまで夢が現実となったのだろうか。人種間の差別はSegregation(人種隔離)の時代、学校、レストラン、公共トイレ、そしてバスも有色人種は白人達と席をともにすることは出来なかったという時代に比べると大きな進展をしたと言える。しかしキング牧師もよく訴えていた「黒人達が国家経済に白人と同じ様に貢献し、その恩恵に賜る」ということについては、まだまだゴールにはいたっていないようだ。黒人全体の所得総額はアメリカ国民全体のたった2パーセント。さらには、黒人の持ち家所有率(住居購入率)は50%だが、白人のそれはさらに上回るおよそ75% (BET.Com, Julianne Malveaux)でもその差は歴然としている。
1968年4月4日。マーティン・ルーサー・キング牧師凶弾に倒れる。彼は現在のアメリカをどのように天国で見守っているのだろうか。
1963年の「私には夢がある」演説はキング牧師の最も有名な演説と言える。「将来私の子供達が肌の色ではなくそれぞれの人格によって評価される時代が来る事を願う」というスピーチは現在でも様々な場面で引用されている。キング牧師がブラックカレッジの卒業生であるという事実から、このマーティン・ルーサー・キングデーは全米ブラックカレッジにとっても重要な記念日である。この日には大学職員、学生達が改めて教育の大切さ、若きマイノリテイー達を成功に導くブラックカレッジの役割を再確認するのだ。
キング牧師が訴えた「私には夢がある」演説の内容は2006年を迎えた今、どこまで夢が現実となったのだろうか。人種間の差別はSegregation(人種隔離)の時代、学校、レストラン、公共トイレ、そしてバスも有色人種は白人達と席をともにすることは出来なかったという時代に比べると大きな進展をしたと言える。しかしキング牧師もよく訴えていた「黒人達が国家経済に白人と同じ様に貢献し、その恩恵に賜る」ということについては、まだまだゴールにはいたっていないようだ。黒人全体の所得総額はアメリカ国民全体のたった2パーセント。さらには、黒人の持ち家所有率(住居購入率)は50%だが、白人のそれはさらに上回るおよそ75% (BET.Com, Julianne Malveaux)でもその差は歴然としている。
1968年4月4日。マーティン・ルーサー・キング牧師凶弾に倒れる。彼は現在のアメリカをどのように天国で見守っているのだろうか。
by blackcollege
| 2006-01-17 08:25
| ブラックヒストリー